二本松霞ヶ城公園の桜 二本松城の歴史と岳温泉
こんにちは。もりくまです。
まだまだ、寒さ真っ盛りですが、いかがお過ごしでしょうか。
ときは、まだまだ、寒いですが一足お先に桜の話題でございます。
一緒に我がふるさと。二本松の霞ヶ城の歴史
近隣の観光名所等にも触れてみたいと思います。
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福島県二本松霞城公園桜祭り
二本松の霞ヶ城公園は毎年、秋に行われて
おります「二本松の菊人形」の会場でもあります。
秋には菊、春には桜、と花にまつわるイベントだけで人を集めている会場
ですがもともと、二本松城が「霞ヶ城」と称されるようになったのは
桜が満開になると城が霧の中にたたずむように霞んで見えたからと謂われています。
武士の時代より植えられた「ソメイヨシノ」ほかの二千五百本あまりの
桜のもと、毎年、春にはあちらこちらで花見の宴が催され
私たちの目を和ませてくれます。
例年の見頃は4月中旬から下旬頃ですが天候しだいで前後しますので
ご注意ください。
4月5日から5月6日までは「桜祭り」と称され会場が
ライトアップされます。
闇夜に浮かび上がる桜もとても綺麗ですよ。
開催期間中(開花状態にもよります)は会場内の売店も
オープンし各種食べ物(そば・うどん他)
お酒・ビールも販売されます。
4月とはいえ、夜は冷えますのでスプリングコート
ぐらいは必要です。
暖かくしておいでくださいね。
霞ヶ城の歴史と戒石銘
応永21年(1414)に畠山満泰(はたけやまみつやす)によって築城された
二本松城も天守閣(本丸)は戊辰戦争により焼け落ちてしまいました。
江戸時代は丹羽氏の居城とされ領民共々に繁栄した
国の誇りでもあったはずの城がなくなってしまったのは残念ですね。
他の城にもいえることですが残っていてくれたら
とても壮観だったと思います。
二本松は江戸時代も平和で武士も町民も農民も
分け隔てなく暮らしていました。
丹羽氏の治政の仕方をを表した言葉が
「旧二本松藩戒石銘」として残されています。
これは藩士への戒めとして5代藩主丹羽高寛公が
藩士の通用門の脇に突き出た大岩に刻ませたもので
四句十六文字で表されたこの文章は教育的史料として
また、行政の規範として価値の高い物で「国指定史跡」の
指定を受けております。
「読み方と意味」
たった十六文字の文章ですが「戒石銘」が二本松藩士の
士風を創り、ひいては村・町の風土を創る規範になりました。
そして、戊辰戦争のおり、襲い来る官軍から自国を
まもるため重臣達はもとより、幼い少年達までが士道に
殉じ戦ったのです。
二本松霞ヶ城へのアクセスと岳温泉
霞ヶ城公園は二本松駅から歩いて20分ほどでつきます。
歩くのがいやな人はタクシーでどうぞ。
料金は1000円もかからないと思います。
駅から真正面に歩いて突き当たりが二本松神社入り口
そこから右方へ少し歩くと「羊羹の玉嶋屋」があります。
玉嶋屋の角を左に折れ図書館・病院等がある坂道を上り
下り切ったところが閣内です。
さらにセブンイレブン脇のみちを歩き(要はまっすぐ)
次の交差点を左に折れると石垣と城の門が見えてきます。
ここが霞ヶ城公園です。
車で来られる方は二本松インターを下りると5分ほどでつきます。
広い駐車場がありますので割とすぐ止められます。
(菊人形開催中は警備員がおります)
門をくぐると階段状のみちがあり、登り切ると
売店がある、広い空間が出現します。
ここが桜祭りメイン会場です。
なお、本丸跡へ至る遊歩道、子供達が遊べるアスレチックコース
遊歩道沿いにある史跡等、ゆっくり探検してみてください。
二本松神社前のバス停から岳温泉行きのバスが出ております。
源泉掛け流しのおふろでゆっくり旅の疲れを癒やしてください。
まとめ
駆け足で我がふるさと。二本松の桜と霞ヶ城をご紹介させていただき
ましたがいかがだったでしょうか。
旅の一助になればさいわいです。
よろしければこちらもお読みください。
二本松少年隊と戊辰戦争。八重の桜で描かれる時代の後をたどろう
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