仁徳天皇凌と民のかまど

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こんにちは,もりくまです。

日本には、古墳という遺跡があります。

3世紀後半から約400年にわたって建造された権力者のお墓とされるものです。

主に天皇や有力な豪族が葬わられているとされていますが有名な仁徳天皇凌をはじめとして全国には1万5千ほどが残されています。

なぜ、このような大きなお墓を造る必要があったのでしょうか。

学校ではエジプトのピラミッドと同じように統治者の権勢を示すためと教わった人が多いと思います。

でもちょっと考えてみましょう。

あれほどの土木造成工事を完成させるためにはいったい、どのくらいの人材と時間がかかったのでしょう。

実は日本を代表する建設会社、大林組では仁徳天皇凌の造成シミュレーションをおこなっています。

それによると毎日、3千人の人が作業して15年ぐらいの時間がかかっているとのことです。

さらに造成後1500年もの間、崩れないほど強固な構造物を造るには、相当な土木知識と技術力、それを達成するためのチームワークが必要だということです。

古代、土木技術が何のために発達したかご存じでしょうか?

答えは治水事業です。

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古墳と治水事業と米作り

 

古墳を造るあれほどの量の土をどこから持ってきたと思いますか。

じつは古墳づくりと水田稲作の広まりにはつながりがあるといわれています。

古墳が作られ始めた3世紀ごろから日本列島では爆発的に人口が増え始めました。

全国的に水田事業が始まり、人々の食糧事情が格段に良くなっていったのです。

 

それを助けたのが治水土木技術です。

広大で水平な田んぼをつくり、そこへ水をひき、自由に調節するため堀を彫ったり水を貯えるための池をつくったりしています。

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すると現在でも同じですが大規模な整備事業に伴いあまった土がでます。

建築現場では残土(ざんど)と呼ばれますが公共施設建設や道路工事その他

工事を行えば必ず出るものでパワーショベルで集められダンプで運ばれ山ができます。

その山の最終形態があの古墳と呼ばれるあの丘です。

もちろん、ただ残土を積み上げていくだけでは、台風や雨による土砂崩れ等の災害の危険が高くなりますし、もし、崩れたり流出した場合相当な被害が出ると思います。

それを防ぐため創意工夫を凝らしぜったいくずれないように築き上げたのがあの古墳ではないかといゆことです。

そしてその技術が広まるにしたがって豊富な食料を生み出す水田と古墳が全国に出現することになりました。

 

仁徳天皇と民のかまど

 

日本最大の古墳、仁徳天皇陵の主。仁徳天皇には民のかまどという故事があります。

 

古事記、日本書紀に書かれた伝説であり、寺子屋、戦前の学校で必ず教えられて日本人のほとんどが知っていたエピソードで仁徳天皇が民の窮乏を救うため税を3年とらなかったという話です。

仁徳天皇の話にもある通りこの時代の一番の願いは人々がみな、おなか一杯たべれるようmにすることでした。

さらに台風、日照り等の災害も多いこの国にはいざという時のために蓄えておけるコメはとてもありがたい植物だったのです。

土をけずり、水の道をほり、残土の山が増えて行くたび稲穂の実りは増えて行きました。

 

まとめ

 

これは一つの説ですが普通に考えたらわざわざ墓を造るために土や石を集めたのではなくより良い暮らしをするためにみんなが協力して作業した結果、得られる恵みと実りに感謝し、そこへ尽力してくれた人をお祀りしたと考えたほうが自然ではないでしょうか。

 

 

 

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