標準語の確立と普及 近代化までの言葉の変遷(幕末~明治編)
こんにちは。もりくまです。
江戸時代から明治に変わると標準語の体制が確立します。
小学校も全国に展開し日本語が全国で統一されました。
日本語がどのように統一されたか。さらに西洋から入ってきた文化、言葉がどのように消化されてきたかをご紹介します
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標準語の確立と普及
江戸時代の日本は地方それぞれが藩政の中独自の日本語を確立させていきました。
そのため幕末、そのあとの新政権において混乱を招きます。
江戸時代、上流武士は地方においても山の手言葉を使っていたと思われます。
しかし、幕末、そして新政権の立ち上げに尽力したのは下級武士が主体でした。
薩摩藩の西郷隆盛、土佐の坂本龍馬など物語にもお国なまり、そのままで描かれています。
ドラマのなかの西郷さんの薩摩なまりは現代の私たちには方言でも意味が理解できるように演出されていますが実際はどうかというと・・・・
幕末最後の将軍、徳川慶喜の手記にこうあります。
「薩摩のなにがしといゆものと話をするも何をいっているのか、いっこうに解らず是とも否とも返答に困り候」
この状態では政務の執行が難しいと考えた新政府は国語の統一化を考えました。
まず、200ほどあったと言われるひらがな、カタカナを現行の50音に。
山の手言葉を基準に手を加え標準語としてまとめました。
武家の上流階級の言葉であった山の手言葉。
「○○申し候」「○○でござる」などの語尾がですます調になったのは申すがますに変化し花魁言葉の「でありんす」がですに変化したものらしいです。
両方とも短くて上品ということで標準語に取り入れられました。
さらに「僕」「君」は「下僕」「君主」から派生し威信志士達の間で使われた流行語がそのまま標準語に
関東では一般的な母の呼称は「おっかさん」でしたが関西の一部で使われた「お母さん」を標準語として取り上げました。
個別の言葉の取捨選別の理由については諸説ありここでは書き切れませんがこうして統一された日本語はできあがりました。
明治五年、学制制度が成立し全国に小学校が建てられ統一された教科書「小学読本」ができて子供達におなじ日本語が教えられるようになります。
近代化と日本語
幕末、明治にかけては西洋の文化及び科学技術などが一挙に流入し、その思想、文化、技術などに対応する単語がありませんでした。
そのため、当時のコミュニュケーションには多くの外国語が使われていました。
もちろん、現在、外来語として完全に日本語化しているものもありますが当時のインテリと呼ばれていた人たちが好んで使っていたとゆう一面もあるようです。
とはいえ、幕末、明治にかけて有識者、学制等の間では取って代わる言葉がないため外国語によるコミュニケーションは続けられてゆきますが一般国民すべてに受け入れられたかと言うとそうではないです。
日本が近代化を早く果たせた大きな原因のひとつが西洋の思想、科学技術の言葉を日本人が理解しやすい形で翻訳できたという事があります。
室町時代、古代からの日本語を漢字をつかい沢山のコンパクトで表現しやすい言葉が作られましたがここでもおなじ事が起こります。
教えを演べ説く(のべとく)という仏教用語から英語のスピーチを演説と訳したのは福沢諭吉ですが他にも沢山の言葉が文学者などの活躍により訳されていきました。
すべてが日本人が読んだときだいたいの意味が解るように漢字を組み合わせることによって日本人が作った造語です。
民主主義 人民 自由 聴診器 交響曲共和 野球 卓球 等の多くが日本人に
よって作られました。
現在、こうして作られた言葉は漢字発祥の地、中国に逆輸入され中国の国名にまで使われています。
さらに近代、美白・美魔女などの新しく作られた言葉も中国で盛んに使われているのです。
まとめ
日本人が漢字と接してから現在の言葉を手にするため多くの変遷を繰り返してきました。
その時、その時点での最もよい、方法を選んできた結果なのでしょうが漢字というアイテムをもちい西洋文化まで的確な表現する言葉を作りだしました。
今、現在もたくさんの言葉が作られています。
未来にむけ、良い言葉と文化を残して生きたいですね。
最後までお読みくださりありがとうございます。
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