海の武士道 帝国海軍は如何に戦ったか

公開日:  最終更新日:2019/02/28

こんにちは。もりくまです。
今日は一冊の本を紹介したいと思います。

70年以上前、日本は戦争をしていました。
そのために今でも様々な問題を抱えています。

A級戦犯、靖国問題、慰安婦問題、
そして、9条をはじめとする憲法問題。

日本帝国軍は悪者扱いされていますが
こんな話を知っていますか。

帝国海軍の戦い

昭和17年3月2日 大東亜戦争開戦の翌年。
米英豪連合艦隊は日本艦隊に押され劣勢に立たされていました。

ジャワ海の制海争奪に敗れた連合艦隊は日本艦隊からの脱出を試みます。

英海軍巡洋艦「エクゼター」と駆逐艦「エンカウンター」は
インド洋への脱出を試みましたが日本艦隊に捕捉され撃沈されてしまいます。

両艦の乗員、合計約450名は海に投げ出され漂流しました。

脱出ボートは絶対数が足りず、多くが海水に浸かった状態で、
浮遊物に捕まり、体力を奪われながらも、励ましあいながら
冷たい夜を過ごすしかありません。

翌朝、10時ごろ、体力の限界が近づいていた乗員たちは
歓喜と絶望を同時に味わうことになります。

漂流中の乗員たちは近づいてくる艦に気ずきました。
助けを呼ぼうとする乗員たちの目に飛び込んできたのは・・・

「日の丸」日本の艦でした。
艦にはためく旭日旗を認めた乗員たちは死を覚悟したそうです。

息をのみ見つめる敵艦のマストに掲げられたのは
『救難活動中』を示す国際信号旗でした。

敵兵を救助せよ

「漂流者発見!」の報告を受けたのは「駆逐艦雷(いかずち)」
艦長工藤俊作です。

工藤館長は漂流者を確認すると敵潜水艦の音響の有無を確認させ
「漂流者救助」を命令しました。

直ちに舷側に縄はしごがおろされ、艦載ボートでの救助を試みましたが
縄ばしごを登るどころか次々と力尽きて沈んでいく漂流者を見た
工藤艦長は最低限の人員を残し、総員での救助作業を指示します。

下士官数名は海に飛び込み失神した英兵をロープで固縛し艦上に引き上げます。

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艦上では負傷者、衰弱者の手当てをするもの、救助者を引き上げるものに
助けられた英兵までが加わり、敵味方が協力しての作業となりました。

こうして救出された英国海兵は400名以上 駆逐艦「雷(いかずち)」の
全乗組員220名の2倍の漂流者を救出したことになります。

戦闘艦には水や物資はとても貴重なものですが英兵の体を洗い
衣服 食料をもてなし工藤艦長はこういわれました。

「諸官は勇敢にたたかわれた。今や諸官は、日本海軍の名誉ある
ゲストである。私は英国海軍を尊敬している。ところが今回
貴国政府が日本に戦争を仕掛けたことは愚かなことである」

この時、救出された英国海軍士官サムエル・フォール氏は
平成8年。「マイ・ラッキー・ライフ」という本を出版

その冒頭には
「この本を私の人生に運を与えてくれた家族と
 私を救ってくれた大日本帝国海軍中佐 
 工藤俊作にささげます」と書かれています。

そして「自分が死ぬ前に一言お礼を言いたかった。
    一日として彼のことを忘れた事はない」

といっていた彼は数度にわたり来日し工藤俊作の消息を
尋ねていましたが最後に墓前への面会を果たしました。

海の武士道

サムエル・フォール氏が工藤艦長の消息を訪ねて
来日した時、話を聞き協力したのが元海上自衛官で
ジャーナリストの恵隆之介さん。

惠さんはフォール氏の話を聞き『『敵兵を救助せよ!
―英国兵422名を救助した駆逐艦「雷」工藤艦長』
『海の武士道』を書いています。

これを読めば「日本がなぜ戦わなければならなかったのか」
「日本が如何に戦ったのか」がよく分かる本です。

まとめ

長い間、日本はあの戦争で責められ続けてきました。
70年も前の戦争責任とか謝罪とかそんな報道が続けられ
足枷となっています。

もちろん、戦争はないほうが良いに決まっています。

でも平和は戦わなければ守れないこともあるのです。

そして、あの時、日本軍は正々堂々、戦いました。

その一つの証明が此処に在ります。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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