常夏の楽園 パラオと日本の絆
こんにちは。もりくまです。
あなたはパラオという国を知っていますか。
海がきれいで主要産業が観光。
南国の楽園といわれ、日本からも
毎年、数万人の人が訪れるあの国です。
今日はパラオと日本のきずなのお話です。
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パラオの国旗
きれいな海と抜けるような青さの空を持つ
ミクロネシアの500以上の島で構成される観光の国。
「パラオ共和国」
パラオは1993年にアメリカより独立を果たしましたが
第二次世界大戦で日本が敗戦するまで日本が統治していました。
アメリカから独立して定めた国旗は青地に黄色の丸。
これにはネットや他のメディア等で日本の
日の丸をモチーフに作った等の説が流布されていますが
残念ながら?作者本人の言により否定されています。
「パラオの国旗は海に浮かびあがる美しい月。
日本は日本。パラオはパラオでそれ以外の何物でもない」と
国旗の出自の因果関係に関しては否定されてしましましたが
こんな説が出回るのも、さもありなんと思われるような事実があります。
パラオの国定教科書の全462P中、36Pに
日本の統治時代ついて書かれてあり、
その章は「日の丸の旗の下に」
と題されているのです。
大東亜戦争で日本が敗戦すると
パラオはアメリカが統治することとなり
日本色を払拭しようと日本が施したインフラ
や建物を破壊しました。
さらには中国、韓国のように日本軍によるパラオ人
虐殺等を含む反日教育を施そうとしましたが
パラオの人々には全く受け入れらませんでした。
スペイン・ドイツ・日本。
そしてアメリカと複数の外国統治を
経験したパラオ。
そのパラオ民が一番良かったと
口をそろえる日本の統治を振り返ってみたいと思います。
白人の統治と日本の統治
最初にやってきたのはスペインでした。
この当時のスペインにとって占領した場所の現地人は
搾取の対象でしかなくさらにヨーロッパから
入り込んだ天然痘のため人口は激減しました。
そして、米西戦争戦争でスペインが負けると
パラオはドイツに売られてしまいます。
ドイツはココナッツ・タピオカなどの栽培や
リン鉱石などの産業には力を入れましたが
インフラ整備や現地人の教育には
全く無関心でした。
要するにドイツ人にとってお金になれば
後はどうでもよかったのです。
ドイツが第一次世界大戦で負けると
パラオは日本の統治領に
なりました。
もちろん、日本もパラオの産業発展に力を入れました。
同時に日本は現地人の教育にも熱心でした。
現地人の住環境 インフラを整備し多数の学校を建てたのです。
さらには缶詰工場などを作り現地人を雇用しました。
最初はまた、外人の統治者がきたといぶかっていた
現地人との間にしだいに信頼関係が出来上がっていました。
侵略 占領などの言葉が使われていますが
その実、日本がやったことは白人に占領され
いいようにあしわられてきたアジアの国々を開放し
現地の人々に力をつけさせることで日本を守ろうとしたのです。
日本敗戦後のパラオ
現地人に教育を施し、住環境とインフラを整備し
パラオを発展させようとした日本ですがアメリカの
猛攻により結局、敗戦することとなります。
日本の代わりに入ってきたアメリカは前述のとおり
日本が作り上げた道路、建物などはすべて、破壊し
日本を貶める教育を行い日本に戦争の責任を
すべてなすりつけたのです。
しかし、最も激しい攻防が行われたベリリュー島の
戦いでさえ現地人の犠牲者を一人も出さなかった
日本への信頼は失われることはありませんでした。
戦後、何十年もの米国の支配を受けやっと
独立を果たしたパラオですが日本の統治時代の
精神は受け継がれています。
現在でも日本の単語が多数、用いられ
日本語の歌を歌える人も多いということです。
まとめ
海外旅行として人気の高いパラオですが
彼の地であった出来事は日本人は忘れようとしています。
パラオでは学校で教えていることなのに
一方の当事者である日本では教えていません。
そのむかし悲惨な戦いがあった場所ではありますが
そのさらに前から多くの日本人が働いていました。
そこには日本の民間・軍人も現地人も分けへだてない
交流がありました。
そして、民間人・現地人を守るべく戦った
勇敢な日本軍の姿があったのです。
もし、パラオに行けることがあったら、そんな昔の
日本とパラオのきずなに思いをはせてみたいものですね。
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